【EVENT】『錫高野(すずごや)のカカシ祭り』をレポートします!(錫高野)

11/12(日)に城里町・錫高野(すずごや)で開催された『錫高野いも煮会とカカシ祭り』。
※本来は11日(土)開催でしたが、天候のため12(日)に順延となりました。
このお祭りは、城里町の錫高野地区の皆さんが自らの発案により手作りで開催しているお祭りで、今年(2017年)で8回目の開催となりました。ローカル感のあるお祭りですが、主催者の皆さんは「多くの方に来ていただきたい!」と言っています!これまで、まとまった情報がウェブ上にはあまりなかったようなので、今回の記事でレポートしたいと思います!

 

開催場所・錫高野(すずごや)地区について

祭りの開催場所である錫高野地区は、城里町の旧桂村地域にあります。
地域の方々は、「すずごや」と呼んでいます。正式名称は「すずこうや」という話も聞きましたが、「すずこうや」と呼んでいる人に会ったことはありません…。
この地域は、「錫(すず)」のその名のとおり、昔は「錫鉱」が存在していました。
寛永9年(1632年)に錫が発掘されて、本格的な精錬が始まったそうです。そして、この地域は元々「高野村」という地名だったのが、天保年間(1831~1845年)には「錫高野村」と改められたそうです。(出典:『桂村郷土誌』)地名が変わるほどのことだったんですね!!

*記事最下部に、「錫高野の錫採掘と高取鉱山について」の文献を抜粋して掲載しています。調べてみると、とても興味深い、鉱山としての歴史がありました。

この地区の皆さんの発案による「錫高野カカシ祭り」は、今年で8年目の開催となりました。

 

とても楽しそうな「カカシ作り」の日々

祭りで展示されるカカシ作りは、1ヶ月以上前から始まります。
準備会場は、錫高野にあるゲートボール場。伺うと、着々と準備が進められていました。
それぞれチームに分かれて、協力してカカシの制作を進めています。

■イノシシ制作:木の皮を毛皮として利用しています。
 

■迎撃ミサイル制作:染料を作るために、植物を煮出したりの試行錯誤がありました。
 

■あのキャラ制作:設計図があるカカシもあります。
 

■果物採集(柿・柚子)&お昼ごはん:和気あいあいの、楽しい空間でした。
   

カカシ祭りの主催者である地域のおじちゃん達が、まるで少年のように、楽しみながら試行錯誤をしてカカシを制作している様子が、とても印象的でした。また、作ろうとしているカカシたちのアイディアが斬新なことにも、とても惹かれました。
詳しい制作の様子は、こちらのブログをご覧下さい。⇒ 「★準備に潜入!①」 「★準備に潜入!②

 

11/12(日)『第8回 錫高野 いも煮会とカカシ祭り』

イノシシにお酒をすすめるカカシ

カカシ祭りは、例年11月の土曜日に1日限定で開催されています。(★2017年開催のチラシ(開催概要))今年は土曜日に雨天の予報が出たため、日曜日に開催となりました。
今年のカカシのテーマは、「どうにもとまらない、困っちゃうなあ」、「自由」、「懐かしき往年の農村風景」、「故郷の誇り止幾」でした。毎年、とてもユニークなカカシたちが展示されます。
また、カカシの展示以外にも、錫高野区民の手作り愛情料理(芋煮や大判焼き、焼きそば等)が振舞われ、餅つき体験や防災体験(消火訓練・緊急通報訓練)、バンド演奏やカラオケ大会が催されます。

地区のお母さんたちがつくる愛情料理「芋煮」

お祭りには、ウェブで情報を見て、県外から足を運んでくださった方もいらっしゃったそうです!ローカルなものこそ、その地域独特の価値になるんだと感じました。
お祭り当日の様子&カカシ展示は、『【ブログ】城里町長のカカシも!?第8回錫高野カカシ祭り』をご覧下さい!お祭りの様子とカカシの写真が、たくさん掲載されています。
お祭り会場は、県道246号錫高野―石塚線沿いにあります。

カカシはお祭り終了後も展示されています

お祭り終了後も、会場ではカカシが2週間ほど展示されています。(2017年は11月25日(土)まで)
車で道路を走っていくと、それまでほとんど人影のなかった田舎の風景に、突然人の集団が現れるので、結構びっくりします。車に乗って会場を通りがかった方々は、スピードを緩めて車窓から楽しそうにカカシたちを眺めていました。

日本のニュースに連日登場しているお三方・・・。
左からKさん、Tさん、Aさんです。後姿でも誰なのか分かるところが、すごいと思いました。
ブログで制作風景をレポートしていたカカシ達も、完成していました!
   

来年の開催をお楽しみに!

地区の皆さんが本当に楽しそうにカカシ祭りを開催している姿が、とても印象的でした。
主催者の方から、「たくさんの方に見に来ていただきたい」との伝言を預かっております。
是非来年、遊びにいらして下さい!

 

★「錫高野の錫採掘~高取鉱山について」

“明治になってから錫高野の錫採掘は、池内鉱業所として民間人によって行われていた。―中略― 明治42年(1909年)9月に、重石の露頭(=鉱脈)が高取山のふもとで発見され採掘されるようになった。明治44年(1911年)に至り、鉱業権は池内鉱業から三菱鉱業に移り、「高取鉱山」として本格的な操業を始めた。―中略―
高取山は、桂村と七会村の境にあって、標高355.9メートル、郡内第一の高峯である。この山を中心とする区域が高取鉱山である。―中略―
大正3年(1914年)第一次世界大戦が起こると、重石の需要は急激に増え、高取鉱山は一大発展をした。大正6年(1917年)には、従業員200人に達し、家族を含めると、約600人が生活することになった。―中略― 当時錫高野地域はランプの生活だったが、鉱山には火力発電が開始されて電燈がこうこうと輝いて山を照らし、電話が架設され、―中略― 75馬力のモーターは、うなりを立て、全山活気に溢れていた。山神様の鳥居には、祭の夜ともなれば、三菱のネオンサインが点滅したのである。それは錫高野にとっては想像もしなかった空前の変化であった。―中略― 毎日錫高野からは高久・上圷を経て、石塚に運ぶ馬車が列をなした。大正9年(1920年)、世界大戦も終わりを告げ、平和回復とともに事業を縮小し、大正12年(1923年)には遂に閉山となった。”(引用:『桂村郷土誌』p.259-260)

※この情報は、2017年(平成29年)12月時点の情報です。