【歴史・文化】『茨城鉄道 路線跡でたどる 文化財探訪ツアー』レポート!(城里町)

城里町にある「茨城県埋蔵文化財センター『いせきぴあ茨城』」主催で、『茨城鉄道路線跡でたどる 文化財探訪ツアー』が開催されました。

「茨城鉄道(茨城交通・茨城線、略称:茨鉄線)」とは、1926年(大正15年)10月に開業し、水戸市の赤塚駅と、城里町の御前山までを結んでいた鉄道です。通勤・通学や、観光客が御前山へ行楽に行く際に多く利用されていたそうですが、昭和40年代になると自動車が普及したことで利用者が減少、1971年(昭和46年)にその歴史を閉じました。

今回のツアーは、この「茨城鉄道」の城里町内の路線跡を辿りながら、城里町の文化財をめぐるという内容のツアーです。ツアーの様子を取材させて頂きましたので、当日のツアーの行程に沿って、城里町の各スポットをご紹介します!

■ツアーの行程
(集合・出発)いせきぴあ茨城→①宝幢院&那珂西城址→②藤井駅跡→③那珂西駅跡→④薬師寺→⑤石塚駅跡→⑥常陸岩船駅跡→(昼食・見学)いせきぴあ茨城→⑦阿波山駅跡→⑧阿野沢駅跡→⑨橋台跡→⑩御前山駅跡→(休憩)道の駅かつら→⑪高根古墳群→(解散)いせきぴあ茨城


歴史と文化財の町・城里

茨城県埋蔵文化財センター 『いせきぴあ茨城』

ツアーの参加者は、「茨城県埋蔵文化財センター『いせきぴあ茨城』」に集合し、ここで開会行事が行われました。関係者の挨拶と、今回のツアーの講師・小山映一先生の紹介がありました。
小山先生は城里町文化財保護審議会会長で、毎月の「広報しろさと」に掲載されている『城里町の文化財さんぽ』というコーナーの解説文を書かれています。学校教師を務められ、また長年にわたり文化財に携わってきた城里町出身の先生です。

 
城里町町長の挨拶もあり、「城里町は、文化財の町です!」と、城里町は貴重な文化財が存在する歴史ある町だということを説明されました。バスに乗り込み、いつも文化財について熱心に説明してくださる「いせきぴあ茨城」の職員さんの案内で、ツアーに出発です!

①「宝幢院」&「那珂西城址」

宝幢院(ほうどういん)」は、城里町・那珂西にある真言宗豊山派のお寺です。元々は、上宥(じょうゆう)というお坊さんの隠居のお寺として同じ那珂西の赤羽根に創建されましたが、水戸藩第二代藩主・徳川光圀公によって現在の場所に移され、真言宗の勧学所(学問所)になりました。このお寺には、徳川光圀公の元服の際の毛髪も保存されているそうです。現在は瓦屋根ですが、もともとは茅葺屋根のつくりだったそうです。

このお寺には、町指定文化財の「大日如来座像(だいにちにょらいざぞう)」があります。大日如来は、真言密教の教主で、その姿は宇宙の真理そのものが現れたものとされています。宝幢院の大日如来座像は、平安時代につくられたもので、県内では最古の大日如来座像だそうです。
この大日如来座像の体内には2つの銘文が刻まれていて、「白馬寺の本尊であり、観音様として信仰されていたこと」と、「徳川光圀公が元禄年間(1688~1704)に修理して宝幢院に安置したこと」が記されています。(※「大日如来座像」について、詳しくは「広報しろさと(2017年1月号)」をご覧下さい。)ツアーでは、この大日如来座像を拝観させて頂きました。ちなみに、宝幢院のご本尊様は、住職さんでも一度も見たことがないそうです。

そして、宝幢院の境内は「那珂西城」という中世(鎌倉時代~戦国時代)の城館跡であり、周囲には土塁(敵の侵入を防ぐために築かれた土の壁)やお堀の跡があります。小山先生の解説の元、周囲を見渡すと、土が盛り上がった土塁の跡や、土地が低くなっているお堀の跡が確認できました。

この那珂西城は、南北朝時代には大中臣(おおなかとみ)流の那珂氏の居城であったとする説が近年では有力視されています。室町時代以降は佐竹氏が支配していましたが、佐竹氏の秋田移封により廃城となりました。

また、宝憧院のお話で出てきたように、徳川光圀公は仏像を修理し、その仏像や寺院を本来あるべき場所へ移すということも行っていたそうです。城里町には、徳川光圀公が修理した彫刻が3つあります。この宝幢院の「大日如来座像(だいにちにょらいざぞう)」と、小松寺の「木造浮彫如意輪観音像(もくぞううきぼりにょいりんかんのんぞう)」、そして高久の鹿島神社にある「悪路王面形彫刻(あくろおうめんぎょうちょうこく)」です。

②藤井駅跡

宝幢院から那珂西を水戸方面に進むと、水戸市藤井町に「藤井駅跡」があります。現在、「食事処しみず」さんの駐車場になっている辺りだそうです。
藤井駅跡の近くには那珂川が流れています。那珂西から見て那珂川の対岸には渡船場があり、渡し守の方が住んでいて、藤井駅へ行くためにこの船を利用された方もいたそうです。対岸から「おーい!」と叫んで迎えに来てもらっていたそうです。

③那珂西駅跡

 

城里町内の中でも駅跡が立派に残っているのが、この「那珂西駅跡」です。
駅跡地にはホーム跡が残っており、また駅跡地にある「細谷造園」さんが駅名標を設置しており、駅記念碑も立てられています。この記念碑は、東日本大震災で土台が割れて倒れたそうですが、細谷造園さんが修復しました。

 

当時の駅舎の屋根も残っていました。那珂西駅の近くには水戸農業高校の那珂西分校があったそうです。ちなみに、この那珂西駅から石塚駅までは電車だと5円、バスだと10円だったそうです。

④薬師寺

春の薬師寺

次は、城里町役場のすぐ隣にある「薬師寺」です。薬師寺は天台宗のお寺で、平安時代初期に天台宗系の薬師堂(薬師如来を本尊とする仏堂)として創建されたと伝えられています。南北朝時代には真言宗の浄瑠璃光寺(じょうるりこうじ)として復興され、そのお寺が石岡市の片野に移転した後、1594年(文禄3年)に光雅法印(こうがほういん)という僧によって中興(=一度衰えたり途絶えたものを復興させること)されました。

この薬師寺には、町指定文化財の「十二神将軍(じゅうにしんしょうぐん)」と、国指定重要文化財の「木造薬師如来及両脇侍像(もくぞうやくしにょらい および りょうわきじぞう)」(略称:薬師如来両脇侍像)があります。この「薬師如来両脇侍像」は、毎年4月8日に行われる花まつりと大晦日の年2回だけ見学することができます。

ツアーでは「十二神将軍」と、特別に「薬師如来両脇侍像」を拝観させて頂きました。

 

「十二神将軍」は、鎌倉時代から南北朝時代に造られたといわれている、薬師如来を守護する十二体の武神です。薬師如来の十二大願にちなんで造られ、頭部には十二支の動物が彫られています。
「十二神将軍」 | 広報しろさと(2017年8月号)

そして、「薬師如来両脇侍像」は、真ん中に佇む像高137.8cmにもなる大きな薬師如来の座像と、その左右に従える日光菩薩と月光菩薩の立像からなります。薬師如来は、人々の病苦を取り除き悟りに導く仏で、医薬の仏として信仰されており、左手に薬の壺を持っています。非常に荘厳な佇まいで、とても感動しました。
「薬師如来両脇侍像」は撮影が禁止されていたので、その姿は町のHPをご覧下さい。(※木造薬師如来及両脇侍像 | 城里町公式ホームページ

この「十二神将軍」と「薬師如来両脇侍像」は、1957年(昭和32年)に起こった「石塚の大火」と呼ばれる大火災も免れました。薬師寺の方や地域の方々が力を合わせて、運び出したそうです。薬師如来はとても大きく、一体どうやってこれを運び出したのだろうと思いました。

⑤石塚駅跡

その後は、現在は廃業したパチンコ屋さんが建つ「石塚駅跡」に行きました。路線跡は、現在は道路になっています。駅前の通りにあるタクシー屋さんの名前は「石塚駅前タクシー」といって、石塚駅があった名残が残っています。また、石塚駅前の通りは今でも「石塚駅前通り」と呼ばれています。

石塚駅付近にはその昔「石塚会館」という映画館があったそうです。(聞くところによると、もう1つ映画館があったのでは…ということで現在調査中だそうです。)町の方には、「石塚駅前には昔、石原軍団が来たりもして、すごく賑わったんだよ~」というお話も伺いました!

⑥常陸岩船駅跡

石塚から北方方面に進むと、「常陸岩船駅跡」に行きつきます。現在は、一時停止のある交差点になっていました。

(昼食・見学)いせきぴあ茨城

ここで、一旦「いせきぴあ茨城」に戻り、昼食と施設見学です。
茨城県埋蔵文化財センター『いせきぴあ茨城』」は、旧北方小学校を利用して整備された施設で、県内の遺跡の出土品を整理し、保管・展示しています。

地域の歴史や文化について理解を深めてもらうため、職員の方々が熱心に出土品について説明してくださいます!現在石塚小学校のある場所から出土した土器なども展示されていました。施設の裏には町指定文化財の「頓(徳)化原(とっけはら)古墳」もあります。

ここから「阿波山駅跡」へ向かいます。「常陸岩船駅」から「阿波山駅」への線路は、現在の田園地帯を横断して通っていたそうです。「いせきぴあ茨城」の職員さんが田んぼの端と端で旗を一生懸命に振って、どこに線路が敷かれていたかを示してくださいました。

⑦阿波山駅跡

「阿波山駅跡」には、現在桂図書館があります。

 

 

 

 

⑧阿野沢駅跡

次は「阿野沢駅跡」です。ここは道が狭くバスで入れない道にあるため、車窓から位置を確認しました。人の住んでいない古民家の裏にあるそうです。

⑨橋台跡

橋台(きょうだい)とは、橋の両脇にある、橋を支えている土台のことです。
国道123号線沿いを道の駅かつら方面に走っていくと右側に見える「桂運動公園」の緑色の看板を曲がった先に、茨鉄線の鉄道橋を支えていた橋台が残っています。現在橋自体は残っておらず、近くに行くと危険ですのでご注意下さい。

さらに、その近くの路線跡には、茨鉄線を運行していた茨城交通の土地であることを示す杭が残っていました。

⑩御前山駅跡

在りし日の「御前山駅」

茨鉄線の終点となる「御前山駅跡」は、現在はソーラーパネルが広がる土地となっており、車窓から眺めました。

(休憩)道の駅かつら

「道の駅かつら」で、小休憩を取りました。参加者の皆さまは、道の駅かつらで人気の「かつらジェラート」などを召し上がっていました!

 

 

⑪高根古墳群

城里町には11カ所の古墳や古墳群があり、城里町・高根地区には、「孫根古墳郡」と「高根古墳群」の2つが隣接して存在しています。
かつてこの場所は「千墓塚(せんぼづか)」と呼ばれていたそうで、数多くの古墳が存在していたことが窺えますが、開墾などにより古墳が破壊され、現在は石室の石材の一部が畑に残るのみとなっています。(※赤く丸がついている石が、その石材の一部だそうです。)

また、高根地区からは、茨城県内での出土は珍しい「蕨手刀(わらびでとう)」と呼ばれる特徴的な形状の刀が出土していて、茨城県立歴史館に所蔵されています。

(解散)いせきぴあ茨城

以上の行程で、今回のツアーは終了です。

ツアーの中で印象に残った小山先生の言葉があります。それは、文化財はその価値を認めて後世に受け継ぐ人がいなければ、残っていない、今城里町にある文化財も残っていなかったという言葉です。地域の資源・資産は、その価値を掘り起こして活用し、またそれを人に伝えていかないと消えていってしまうんですね。スタッフの方々の丁寧で面白い説明で、楽しく勉強になるツアーとなりました。

 

今回の記事を作成するにあたっては、当日配布された文責・小山映一先生の解説文と、小・中学校で配布される城里町の歴史や文化をまとめた副読本「城里学(まな)ぶっく」(※コミュニティーセンター城里内図書館で貸出を行っています)を参考にいたしました。

また、2017年(平成29年)7月3日(火)~8月31日(木)の期間中、「城里町役場」と「ホロルの湯」で、『茨城鉄道 第Ⅰ期 ―今も想い出の中を走ってる―』が開催されております!是非、この機会にご覧になってみて下さい!

 

※この情報は、2017年(平成29年)8月時点の情報です。